街と人のロマンス
こんにちは、namiheiです。
私の大好きな漫画家の一人に、いくえみ綾先生がいます。
いくえみ作品の初期の一つに"街と人のロマンス”という物語があるのですが、別冊マーガレットで読んだこの作品で涙した記憶があります。
物語の主人公は高校一年生の夕梨子。
夕梨子の母親は年を重ねても少女のように素直でかわいい女性なのですが、その母親に対して自分の性格は素直じゃなくかわいくない、そんなコンプレックスをもっている女の子。
そんな”かわいくない”彼女は一人でいるのが好きな反面、実は街角でうまれるようなちょっとしたロマンスに憧れているのです。
そして夕梨子が母親きっかけで出会うことになる将太という男の子がいるのですが、のちに母親の初恋の話につながっていきます。
この作品を描いたとき、いくえみ先生は19歳くらいだったそうですが、物語の組み立て方や魅力的な登場人物たちは今読みかえしても素敵すぎるのです。
初めて「街と人のロマンス」を読んでから30年以上経った今、当時小6だか中1に読んだ同じシーンで泣きました・・・。
アラフィフのおばさんの心は今もティーンエイジャー(死語ですか?)なのです。
母親の初恋相手との回想・別れのシーンからの
今現在の再会。
「いまはしあわせですか?」
「はい、とても・・・」
これは珠玉のシーンです。
そして、本当は「素直でかわいいひとだ」と好きな人に思ってもらえている夕梨子のロマンスはハッピーエンドを迎えます。
ラブコメ好きだった私が、純粋な少女漫画を好むようになったのは、この漫画からです。
ぜひご一読を。
哀しみ色の・・・
こんにちは、namiheiです。
先日、実家の物置から持ち帰った本の中に、当時愛読していた月刊誌、「GB(ギターブック)」の付録、SB(ソングブック)がありました。
かなりの年代物です。そして同じものが2冊見つかりました。
なぜ2冊あるのでしょうか。
実は1冊は妹のものなのです。
私には3歳下の妹がいるのですが、私たち姉妹は当時TMNetworkが大好きで、私はUTSU(ウツ)、妹は小室さんの熱狂的FANKSでした。
私は基本的に毎月GBを購読していたのですが、妹はTM特集があると買うタイプでした。
この月の特集がTMが今まで出したアルバム全曲一挙掲載なんてものだったので、妹も買わずにいられなかったのでしょう。
そしてこの2冊のSBなわけなのです。
本の発売から32年・・・
この2冊、どっちがどっちのやねん!!
と、普通はなるものでしょうが、中を見てすぐに私のだと確信を持てるものが挟まっていました。
最初に断っておきますが、私のポエムではありません。
(そして下手な字のことも触れずにいてくださると幸いです。)
これは京本政樹さんの「哀しみ色の・・・」という必殺仕事人の挿入歌でした。
子供のころから時代劇も大好きだった私は、必殺仕事人の組紐屋・竜のただならぬ色気のとりこだったのです。
(京本政樹さんのご子息は今をときめくSixTONES、京本大我さんということは皆さん周知の事実でありますが、彼の活躍を見るたび彼にもやはり独特の色気があり、素晴らしい遺伝子だと感動するばかりです。)
必殺仕事人・竜の映像とともに流れるこの曲はたまらなく切なく、京様の甘い声がたまらなかったのでした。
「この歌を覚えたい。」
このとき高校生の私は、インターネットもなく歌詞検索も容易にできない時代です。
私は京様愛ゆえに、耳で聞いた歌詞を必死の速記術で書き出し覚えたのでした。
でもまぁ本当にこういう耳で聞き書き出すという、いまでいうアナログな作業はよくやっていたものです。
今考えると涙ぐましい努力です。
インターネットが普及し、歌詞などすぐに調べられるなんて便利な世の中になったものです。
話は戻りますが、その私が書き出した京様の歌の歌詞が、片方のSBにしっかり挟まっていたのです。
そしてYouTubeで”哀しみ色の・・・”を検索せずにはいられなくなり見つけて思わず熱唱。
32年の時を経ても好きだった歌はしっかり覚えてるものですね。
誤解だらけの堀江淳
こんにちは、namiheiです。
「堀江淳」を覚えているでしょうか。
水割りをください 涙の数だけ
から始まる「メモリーグラス」の楽曲で有名なシンガーソングライターです。
1981年のザ・ベストテンでは聖子ちゃん、マッチ、トシちゃんたちの曲と名前を連ねる大ヒットだった堀江淳さんのメモリーグラス。
そこには儚げで消えそうな白い(イメージの)男性がいました。
ギターを持ち歌う彼の声は甘く優しく、歌詞のヒロインにそのままリンクしていました。
当時10歳だった私は彼の歌声にひかれ、このレコードを手に入れるためお小遣いを片手に商店街のレコード屋へちゃりんこ(自転車)で走ったのでした。
家に帰りレコードに針を落とす。
流れ出した曲は酒場のカウンター越しの物語。
レコードを聴きながら目を閉じ想像したのです。
お酒の味も知らない、酒場のイメージも刑事ドラマか何かでしか見たこともない子供が、ありったけの想像力で恋に傷ついた女性とお酒をつくることに従事する寡黙なマスターを妄想で作り上げたのです。
イメージは”ガラスの仮面”の”北島マヤ”のほぼ一人芝居でした。
今思うと、カウンター越しにいるセリフのないマスターには月影先生の付き人である源造を強く推したいと思います。
いや、ガラスの仮面は横に置いておきます。
”ふられたんじゃないわ 私が降りただけよ”
このセリフ(歌詞)に続く”遊びの相手ならだれかを探してよ”で、先のセリフが女性の強がりだと気づくのです。
あいつなんかあいつなんかあいつなんか・・・のみほしてやるわ
嫌なことはお酒を呑んで忘れるのか、
だから大人はお酒を呑むのか
と、思ったのか思わなかったのか、当時の私は何を感じたのか今となっては定かではありませんが、水割りのグラスに浮かぶキラキラした思い出の氷を頭に描いたことは思えているのです。
小学生の想像も然り、若干20歳やそこらでこの歌詞を書いた堀江淳さん、恋の酸いも甘いも知っていたのか、それとも想像力なのかと、本当にすごいなと今も思います。
メモリーグラスのヒットから数年。
「堀江淳」死亡説など多々流れたこともありましたが、”あの人は今”的な番組で堀江淳さんが出演されたときは本当にうれしかった。
あれからさらに数年。
今も彼はシンガーソングライターとして活躍されています。
驚いたのは、ツイッターやインスタグラム、またブログなどもやられていること。
さらに驚くことが。
その堀江淳さんのオフィシャルブログのタイトルが「”お湯割り”をください」だったことです。
年を重ね、お湯割りになったのね・・・
と、思っていたら、メモリーグラス(誤解だらけ)バージョンなるものをiTunesで発見!!
ぜひ聴いてみてください。
またメモリーグラスの新しいバージョンも数曲発表されていて、聴いてみると、やはり声がいい・・・
そして改めて曲もいい。
ライブ活動も精力的にされているようで、いつかコロナがおさまったらライブに行きたいな、あの甘い声をライブで体験したいと切に思っています。
紫(パープル)ショック!!
こんにちは、namiheiです。
幼いころ、母方の祖母の家に遊びに行くのが大好きでした。
そこには年上のいとこ達がおり、一回り歳の離れたお姉さんには少女漫画を、9歳上のお兄さんには少年漫画を読ませてもらい、おじさんにはのらくろ、フクちゃんなどの漫画の絵を描いてもらったりして、私の人生の趣味嗜好にかなり大きな影響を受けたのです。
お姉さんが読んでいた少女漫画の中に別冊マーガレットがありました。
そこにはキラキラな瞳をした女の子たちと、クールでかっこいい男の子たちがたくさん描かれていたのです。
その日も母と一緒に祖母の家に行き、お姉ちゃんの別マを読んでいました。
当時その中でも大好きだったのが、今日のタイトルにもある「紫(パープル)ショック!!」です。
「紫(パープル)ショック!!」とは昭和56年から別冊マーガレットで連載されていた本当の姿を隠した優等生&平凡な少女の運命的センセーショナルな恋が描かれた少女漫画。
作者は茶木ひろみ先生。今もKindleで「銀の鬼」を配信、執筆活動されております。
茶木ひろみ先生の作品や現在の活動を知りたい!
◼茶木ひろみ (サキヒロミ1956年4月16日生まれ)兵庫県神戸市出身。漫画家。
1977年、集英社デラックスマーガレット「委員長が変です!?」でデビュー。
◼作品
わたしの首領(ドン)
17の赤くなる病気
なないろ7日め
あなたのプロフィール
紫(パープル)ショック!
ごはんだよ!
おれのピンク星(スター)
真珠姫
かのこ
ももいろ宝石
純恋夜
絹のヒーロー
姫~クラシックガール~
おれは薔薇
悪徳の栄え
銀の鬼 など
◼現在はどの出版社にも属さず、amazonのkindleにて電子書籍を独占契約で配信中。
銀の鬼、変な探偵など新作を筆頭に、過去作品の続編新作、過去作品の改題含む作品を配信中です。
「紫ショック!」以下ネタバレあります。
⬇ ⬇ ⬇
ヒロインはどこにでもいる平凡な女の子、松原小巻。
彼女が恋をする優等生、一色紫には裏の顔がありました。
学校帰りに友達とベンチに座ってハンバーガーを食べていた小巻。
話が盛り上がるにつれ足を前後にゆらゆら動かしていたところ、靴が脱げ、たまたま通りかかった暴走族のバイクに当たってしまうところから物語が始まるのですが、
その初めての出会いの時、小巻の顔を見て「ハクい」と言った紫。
「良い」「素晴らしい」「美しい」という意味のつっぱり用語でした。
その時、紫はヘルメットをかぶっていたため、小巻は紫が暴走族の頭だということを知らないまま、後の出会いで優等生モードの紫に一目ぼれすることになるのですが。。。
それからしばらくして小巻は紫の正体を知りショックを受け傷つくのです。
紫も小巻に対して冷たくいじわるだったりします。
そんなふうに気持ちがすれ違い反発しながらも、なぜか惹かれあう二人。
惹かれあう小巻と紫に、運命の赤い糸を感じていたのは小巻なのですが、実際は最初から紫はその運命に導かれていたのでした。
平凡な小巻を一目見て「ハクい」と言ってしまうあたりから、すでに紫にとって彼女はスペシャル感があったのでしょう。
実は紫には暴走族のチームの中に恋人らしき存在がいて、彼女のことを「ローリー」と呼んでいたのです。
しかしローリーは、紫の小巻に対する態度を見て、そして小巻の名前を聞いたとき、
”小巻”が、紫の探していた本物の「ローリー(=小巻)」だと知ってしまいます。
紫のことが大好きだけど、自分は偽物でしかない。
本物のローリー(小巻)は、もう紫の心にいることを受け止め、紫から離れることを決めたのです。
ローリーの潔さに泣きました・・・。
ラストは恋を貫き突然姿を消す二人。
平凡な日常を、平凡に生きている人間がほとんどの世の中です。
でも誰しもが心のどこかで思っている、本当は「生きたいように生きる」”紫”のように飛びたいのだと。
当時私は小学4年生だったでしょうか。
ささいなことなのですが、当て字を人生で初めて意識したのが、”小巻”と書いて”ローリー”と読むところでした。
それが理解できたとき、ものすごく感動したことを覚えています。
紫ショック!!はコメディ要素は少ないのですが、ストーリーのなかには、ところどころくすっと笑えるポイントがいくつかあります。
それは茶木先生のおちゃめな部分です。
また茶木ひろみ先生の描く女の子は素直で健気で芯が強い。
男の子は無口なうえ口も悪く、さらに目つきがも悪いのですが、ものすごく色気があってちょっと意地悪で、それでもって本当は優しくてたまらなくかっこいいのです。
別マ、週マ時代の茶木作品は(たぶん)全部読んでいるのですが、小学生のころから今も大好きな漫画家さんです。
ようしゃなく厳しい人、おとうちゃまの教え。
こんにちは、namiheiです。
1986年からコロコロコミックスで連載が始まったギャグ漫画がありました。
のちにアニメ化までされた人気まんが「おぼっちゃまくん(小林よしのり先生)」です。
私はこの漫画が大好きで、毎回読みながらそのありえない世界観に大爆笑していた記憶があります。
財閥の跡取り息子である”おぼっちゃまくん(御坊茶魔くん)”は登場する際、亀に乗ってやってくるのです。
それも普通に想像するような一匹の大きな亀に乗っているのではないのです。
片足ずつ、缶ぽっくりのように足が乗るサイズの亀にのって、お父ちゃまの「あわてるな じっくりいけ」という教えを守り、おぼっちゃまくんは悠々とやってくるのです。
また彼の周りの登場人物もどれも印象的で、なかでも「びんぼっちゃま」という貧乏がゆえ、前半分しか生地がなく後ろは紐でくくる仕様の服を着ているキャラクターには衝撃を受けました。
とにかくおぼっちゃまくんは、その境遇、話す言葉、行動、友達、そして下ネタ満載(今では規制がかかるんだろうな)でそれまで私が読んだことがない破天荒なおもしろい漫画だったのです。
そしてアニメが始まったとき、私はその主題歌に心ひかれました。
「いんぐりもんぐり」というバンド、のちに二人組(?)が歌う「ぶぁい Yai Yai」、おぼっちゃまくんのテーマソングです。
いんぐりもんぐりさんの声も本当にいいんです!!
”カネもち カメもち いたらきもち
ぽっくんは歩く身代金”
この歌詞は「ぶぁい Yai Yai」の出だしの部分なのですが、歌詞は主人公のちゃま語”が盛りだくさんで、語呂やメロディーがなんともポップでキャッチーなのです。
歌詞は小林よしのり先生(作曲はいんぐりもんぐりの永島さん)が書かれたそうですが、その先に続く歌詞もものすごくばかばかしいのです。
そのばかばかしさが感動するほど天才。
今でも大好きで「ぶぁい Yai Yai」をカラオケで歌ったりします。
そんなアラフィフのおばさんは世界で私だけだと思います。
あ、私がカラオケで歌う選曲はマニアックすぎるので、親友と二人でしか行かないことにしています!!
もう2年以上カラオケ行けてないなー。
世の中が落ち着いたら、「ぶぁい Yai Yai」を歌いに行きたい。
コロナ渦で焦りもあるけれど、おぼっちゃまくんのお父ちゃまの教えを守り
ゆっくりいけ、じっくりやれ、亀に乗れ~♪
そんな精神で丁寧に日常を過ごすとしますか。
あ、ちなみにアニソン、他には「ラ・セーヌの星」も歌います。
夏休みの歯医者さんで運命の出会い
こんにちは、namiheiです。
これは小学生時代に、私が出会った忘れられない漫画の話です。
それは小学校の歯科検診で虫歯が見つかり、夏休みに歯医者へ行く羽目になったことが始まりでした。
私は今でも歯医者が大嫌いなのですが、当時も本当に憂鬱な歯医者通いでしかありませんでした。
でもその歯医者さんの待ち合い室で私は「コロコロコミック」という漫画雑誌と出会ってしまったのです。
小学館から毎月発行されていた、「小学一年生」から「小学六年生」まで各学年あった教育雑誌を購読していた私は、そこに連載されていた”ドラえもん”を毎月楽しみに読んでいたのですが、本当の”ドラえもん”の連載雑誌は「コロコロコミック」であると知ったのはこの時でした。
それを知った時の衝撃も大きかったのですが、私はさらに出会ってしまうのです。
”おじゃまユーレイくん”というエロ漫画に。
いや、小学生がターゲットの漫画雑誌にエロ漫画なわけはないのですが。
大まかな内容としては、小学生の霊(レイ)君という男の子が主人公なのですが、霊君は通学途中に交通事故にあい死んでしまうのです。ところが成仏できずこの世で幽霊となりクラスメイトの女の子に憑依したりしながら下着姿で破天荒な行動を起こしたりする物語なのですが、全体的に登場人物の女の子たちがチャーミングでスタイル良く可愛いかったのです。
今の時代では考えられないような・・・いや、明るく健康的なおもしろエロストーリーだったという認識です、はい。
小学生だった私は、その漫画のおかげで大嫌いな歯医者さんで虫歯治療中の楽しみができてしまったわけなのです。
だがそのエッチな漫画を歯医者に行くたび、付き添いの母の隣で読むのはちょっぴり後ろめたく厳しいと思い、親にねだって毎月コロコロコミックを買ってもらえることになったのです。
その頃のコロコロには”ドラえもん”や”ゲームセンターあらし””ウルトラマン”なんかも載っていたように思います。
そんな小学生の男の子が読む健全そうな雑誌にまさかエロが隠されているとは親は微塵も思わなかったことでしょう。
大人になって読み返すとなんてことないエロさなのですが、大人の階段を確実に一段上った感は今も覚えています。
そこから読む漫画の幅が広がった私は永井豪大先生のエロに踏み込んでいくことになるのですが、「おじゃまユーレイくん」作者のよしかわ進先生は、永井豪先生のアシスタントだったという事実をのちのち知ったときは激しく納得しました。
どうりで可愛い女の子の感じや、おっぱいの描かれ方が似ていたわけだな・・・と。
ダンスはひたすらボックスステップを踏む
こんにちは、namiheiです。
ビューティビューティーーー
ビューティペア~
ビューティビューティーーー
ビューーーティペエエアァァーーー
これは1970年代後半からの思い出です。
その日も暑い日でした。
私は百円を握りしめ、ビューティーペアの「かけめぐる青春」のサビの部分を口ずさみながら脳内ではひたすらボックスステップを繰り返し踏んでいました。(たぶん)
そして体は高速で近所の駄菓子屋に向かっていたのです。
ちゃりんこを必死で漕ぎながらひたすら目指すその先には、ブロマイドのくじ引きがありました。
いくつかのうちの一説によると
自転車のベルの音「チャリンチャリン」に由来する擬音が発祥だ
とも言われています。
うろ覚えなのですが、くじ引きは一回20円くらいだったでしょうか。
私はこの駄菓子屋に訪れると大体3回くらいいろんなくじ引きをして、残り40円で駄菓子を買うのがいつものお金の使い方でした。
(ちなみにお気に入りのくじ引きは、アイドルブロマイドのほか、紙石鹸、お化けけむりとスーパーボールでした。)
私の祖父は相撲やプロレスが好きで、よく一緒に見ていました。
その頃はテレビで女子プロレスの放送もありよく観ていたのです。
当時私が夢中になったのは、ビューティーペアでした。
ビューティーペアは女子プロレスのタッグチームでした。
ジャッキー佐藤とマキ上田、二人がそのビューティーペアでした。
壮絶な闘いの後、勝利した二人がリングで歌う「かけめぐる青春」。
私を夢中にさせたのは、歌、というよりも、その強い女性達でした。
「おばちゃん、このくじ一回~。」
と、ビューティーペアのブロマイドくじを引きました。
引いたブロマイドは緑色のわら半紙でできた封筒に入っていました。
そっと引き出すと二人のパンタロン姿のブロマイド。
そして裏をみたら”当たり”の赤い文字が!!
「お、おばちゃん!!当たった!!」
「あらー、ほんとだね~。それはこれだね~。」
と、出してくれたのが、LPジャケットサイズの特大ブロマイドでした。
ジャッキー佐藤とマキ上田が赤いキラキラのショートパンツ姿でブーツを履いていたようなブロマイドだったように記憶していますがなにせか遠い昔過ぎて確信は持てません。
私はうれしくてうれしくて、そのブロマイドをしばらくベッドの頭もとに飾っていました。
が、時は流れ、私は可憐なアイドル石野真子のブロマイドに手を出すようになっていました。
(のちに石野真子の特大ブロマイドも手に入れた強運な私でした。)
さらに聖子ちゃん、明菜ちゃんと、小学校生活6年間、私はみごとにくじ引きにおいて青春をかけめぐらせたのでありました。
あの時のブロマイド、実家の物置に入れておいたのにいつのまにか捨てられたよね~・・・おかんめ!
昭和の母親は有無を言わさず人のものを捨てるのでした・・・