脳内ライブラリー~1980年代に想いをはせて~

1980年代の大好きだった音楽やアイドル、漫画などを思い出して懐かしむブログです。インターネットのなかった時代、自分の記憶を頼りに思い出すまま勝手気ままに綴っていきたいと思います。

カールスモーキー石井は今でもてっぺいちゃんと呼ばれているのだろうか

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こんにちは、namiheiです。

 

私が初めて米米CLUBを知ったのは、愛読していたGB(ギターブック)に載っていた小さなアー写でした。

そこには大人数のド派手な出で立ち。

中でもジェームス小野田さんのアーティスティックなメイクと扮装は際立っていました。

そしてメンバーのカラフルで奇抜な衣装。

私はその小さなアー写に一瞬で心奪われたのです。

 

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namihei

 

米米CLUBってものすごく大所帯のイメージだけど、
いったいメンバーは何人いるの?

米米CLUBメンバー

1982年結成。解散・再結成を経て現正式メンバーは9名。

・カールスモーキー石(1959年9月22日生まれ)
・ジェームス小野田(1959年11月8日生まれ)
・BON(1960年3月5日生まれ)
・フラッシュ金子(1964年3月22日生まれ)
  ※妻はダンサーチームのMINAKO
・ジョプリン得能(1959年8月10日生まれ)
・BE(1965年7月29日生まれ)

ダンサーチーム「SUE CREAM SUE」(シュークリームシュ)
・MINAKO(1961年12月18日生まれ)
  ※カールスモーキー石井さんの実妹
・MARI(生年月日非公表)

ライブ時にはサポートメンバーも加わる。

 

また一聴すると夢の世界に誘われるような米米CLUBの音楽。

今まで目にした事の無い世界観に、私は夢中になったのです。

 

私が惹き付けられた米米CLUBの衣装や演出をプロデュースしていたのはボーカルのカールスモーキー石井さんだったことにも衝撃でした。

 

いまでこそアーティストが絵を描いたり作品を作ったり、衣装をデザインしたりすることが珍しくない時代になりましたが、当時はカールスモーキー石井さんが先駆けだったのではないでしょうか。

 

そしてまた米米CLUBはもともと文化学院のサークル仲間で結成された集団だったのです。

どうりでセンスがあるわけですね。

 

その時代の米米CLUBのインタビュー記事では、カールスモーキー石井さんはメンバーに「てっぺいちゃん」と呼ばれていたのですが、何となく覚えているのが、石井さんの学生時代はめちゃくちゃ暗く、それは1970年代のアイドル、渋谷哲平さんに似ていたから、と読んだ記憶があります。

 

そんな実生活は暗く口数の少ないてっぺいちゃんが、カールスモーキー石井となるとき饒舌にMCをこなす最高のエンターテイナーとなったのです。

その頃の米米CLUBファンは、てっぺいちゃんと聞けば当たり前のようにカールスモーキー石井さんと認識していましたが、月日は流れ、今はどうなのでしょうか。

 

カールスモーキー石井さんは今でもメンバー内でてっぺいちゃんと呼ばれているのでしょうか。

 

そしてここでご紹介しておきたいのが、米米CLUBのアルバムの中で私が一番好きなアルバム・・・

 

1985年発売のファーストアルバム『シャリ・シャリズム』と、かなり悩んだのですが、1987年発売の3枚目のアルバム、『KOMEGUNY』です。

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KOMEGUNY





「sure dance」から「浪漫飛行」への流れがたまらなく好きです。

 

しかし改めて感心するのがアルバムタイトルのセンスの良さよ・・・