脳内ライブラリー~1980年代に想いをはせて~

1980年代の大好きだった音楽やアイドル、漫画などを思い出して懐かしむブログです。インターネットのなかった時代、自分の記憶を頼りに思い出すまま勝手気ままに綴っていきたいと思います。

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第一回家族会議。僕は浪人童貞パパ

こんにちは、namiheiです。

 

それは私が小学校高学年くらいの苦い思い出のお話です。

 

その頃の私のマイブームは、近所の古本屋さんでした。

100円で買える漫画が置いてある小さな古本屋。

ドアを開けると6畳間くらいの店内には壁一面の背の高い本棚と、中央にも背中合わせの大きな本棚が一列に配置されていました。そこは本が所狭しと並んでいて、本棚を抜けたその奥にはいつも七三分けの眼鏡をかけたおじさんが座っていました。

 

そのたくさんの本は専門書からアイドル雑誌、小説から漫画まで、普通の本屋さんとは違い、雑多に入り乱れ独特の古書のにおいが店内に充満していました。

シンと静まり返った店内は私にとってすこし大人びた空間で、そして異空間でもあり、世間と遮断されているような様子が不思議で心くすぐられ、とても気に入っている場所でした。

印象に残っているのは、そのおじさんの後ろには壁に立てかけられたビニ本がきれいに並んでいたのが子供心に刺激的だったこと笑。

 
ビニ本(ビニぼん)とは
簡単に立ち読みなどできないよう透明な袋で厳重にパッケージされた成人向けエロ本のこと。昭和時代はヌード写真集が中心だったように思います。
 

私はお小遣いを握りしめ、時々その古本屋に漫画をあさりに通っていました。 そこで、当時、「生徒諸君!」を愛読していた私は、庄司陽子先生の描かれた一冊の漫画を見つけ、値段を確認(100円!買える!!)し、即購入したのでした。

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namihei

 

庄司陽子先生ってどんなひと?
どんな作品を描いているの?

庄司陽子先生について ◾1950年6月4日生まれ。千葉県茂原市出身。漫画家。
1968年講談社少女フレンド増刊号「海とルコックちゃん」でデビュー。
◾作品(抜粋)
Come on 初恋!
ラストショット
へ~イ!キャッシー
生徒諸君!学生編、教師編、最終章、Kids編
Let‘s豪徳寺
など作品は数多く、70代になられた今も現役で活躍されています。

 

家に持ち帰り居間でゴロゴロしながらその漫画を読んでいました。 いつの間にか眠りに落ち、目が覚めると母親が仕事から帰ってきていました。

母親の帰宅が嬉しくて、私は台所にいる母親のところへいって一日の出来事を話したりしていました。

 

「お母さん、今日はこの本買ったねん!」

 

もともとは母親が私に「生徒諸君!」を読ませてくれたこともあり、庄司陽子先生の漫画なら母親も喜んでくれると信じていたのです。

本のタイトルを見るや否や母親の表情が豹変しました。

みるみるうちに鬼の形相となった母親に、私は恐れおののき言葉が出ませんでした。

 

「・・・後でお父さんが帰ってきたら叱ってもらうから!!」

 

意味が分かりません。

漫画を読んで寝ていただけの私。

 

なんかした?なんかした?なんかした?

 

いくら考えてもなにも浮かびません。

強いて言うなら、古本屋に時折(いや割と頻繁に)入りびたっていること?

その時ビニ本をほんの少し遠くから眺めたりしてること?

そ、それとも、明治のピッコリーナのミルクボールだけ食べていたのがばれた・・・?

など、自分の悪行の可能性をひたすた探してみたけれど、そんなに思いつかず、恐怖で頭が真っ白になっていました。

 
明治ピッコリーナとは
今はなき昭和時代のインスタントココア。ココアパウダーの中に甘いミルクパウダーを丸く固めたものが数個入っており、指定の量のココアパウダーとミルクボールにお湯を注ぐと、ミルクボールがゆっくり溶け出し、甘くておいしいココアが出来上がりました。

 

父親が仕事から帰ってきて、母親とその漫画を見てなにやら話し合っていました。

「あのこ、こんな本買ってきたんやで!!」

なんて感じで母親は激しい口調で話しているのがわかりました。

父親の顔も曇り、怒っているのがわかりました。

机を挟んで父親と母親の前に座る私。

恐怖の家族会議です。

 

父「なんでこんな本買ったんや!?(怒り声)」

 

私「・・・この漫画家さんが(庄司陽子先生)が好きだから。(泣き声)」

 

声を震わせながら正直に答えました。そしてまたそれ以外の言葉が思い浮かびませんでした。

恐怖で叱られた内容は覚えていませんが、目の前に二匹の鬼がいたことは覚えています。

その後、その漫画は取り上げられました。

 

私は何がいけなかったのか深く考え、一つの可能性を見つけました。

それは私が知らない言葉。

本のタイトルに意味不明なはっきりした読み方もわからない「童貞」という文字があったことを思い出しました。

小学生の私はたぶん「どうてい」と読むのだろうくらいの感覚でした。

すぐに自分の持つ国語辞典で調べました。

女性と接触のない男性、みたいなことを書いてあったように思いますが、接触ってなに?

そんな男女の濃厚な接触なんて想像できないくらいまだ純粋な子供でした。

 

問題となった漫画本のタイトルは「僕は浪人童貞パパ」。

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これが両親の逆鱗に触れたわけです。

 

知らんがな!!!

 

だって、本の内容は性描写なんて一切なく、当時の庄司陽子先生の王道キュンなハートウォーミング純愛漫画ですから!!

僕は浪人童貞パパ

真面目で思いやりのある青年、康太郎(こうたろう)は19歳。大学受験に失敗し、二度目の浪人生活を迎えています。とうぜん独身さらに童貞。そんな康太郎はある日図書館通いのバスの中でいきなり「パパ!」と呼ばれてビックリ!それが、幼いちっとちゃんときっこママとの初めての出会いです。ちっとちゃんときっこママの本当の関係、三人の行く末が心温まる展開となっております。古い本なのでもう読めないのかと思っていましたが、電子書籍で読めるようです。興味のある方、懐かしく思われる方もぜひご一読を!

その後、しばらくして私の部屋の勉強机の上に、その本が置かれていました。

両親の審議の上、有害図書とは認められなかったのでしょう。

 

しかし、怖かった。

 

わりと本はなんでも買ってくれる親だったので、ここまで本のことで恐怖したのは初めてでした。

 

いえ、まだもう一度その恐怖を経験することになるのですが、その話はまた今度。

1990年12月の人気カラオケランキングBEST30

こんにちは、namiheiです。

80年代ではないのですが90年代の明星(MYOJO)の付録、ヤングソングが私の実家から出土されました。

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MYOJO1990年12月号付録YOUNG SONG

1990年12月号、表紙はアイドルグループribbon(リボン)です。

 

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namihei

ribbonってどんなアイドル?メンバーは今、何をしているの?

 

ribbonとは

 ☆ribbon(リボン) 

    ・テレビ番組内「乙女塾」から生まれたアイドル。

    ・活動期間1989年~1994年。


 ☆メンバー ・永作博美(1970年10月14日生まれ茨城県出身)

           現在女優・タレント・歌手として活躍中。

       ・松野有里巳(1973年2月13日生まれ東京都出身)

           芸能活動を続けながらエアロビクススポーツインスト

            ラクターとして活躍中。

       ・佐藤愛子(1973年10月22日生まれ埼玉県出身)

           ribbon活動休止後、タレントとして活躍、結婚引退。

 

表紙の特集を見ると、「発表!あなたが選んだカラオケ・ソングBEST30」とあります。

 

ああ、もう何年カラオケに行ってないだろう。

いつまた行けるようになるんだろうねぇ。

 

それはさておき、

ちょっと見てみよう。

 

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1990年MYOJO12月号付録YOUNG SONGより
発表!あなたが選んだカラオケ・ソングBEST30

30位→21位

30位 心の旅 吉田栄作

29位 働く男 UNICORN

28位 乾杯 長渕剛

27位 あー夏休み TUBE

26位 ENDLESS RAIN X

25位 M PRINCESS PRINCESS

24位 Diamonds PRINCESS PRINCESS

23位 浪漫飛行 米米CLUB

22位 ”T”intersection やまだかつてないWINK

21位 今すぐKiss Me LINDBERG

 

現在の正式名 X JAPAN(エックスジャパン)は今は通称 ”X"(エックス)で通っているが、当時はそのまんま ”X” (エックス)の一文字が正式名称でした。

 

令和の時代になりほとんど耳にしなくなった名前もあります。

”やまだかつてないWINK”。

当時、押しも押されぬバラエティ女王だった山田邦子さんの番組「邦ちゃんのやまだかつてないTV」から生まれたWinkなユニットでした。

相田翔子ポジションには山田邦子、鈴木早智子ことサッチンのポジションには、番組内の物まねコーナーから出てきた可憐な少女、横山知枝ちゃんという、ものすごく年齢差のあるアイドルユニットなのでした。

ちなみに彼女らの卒業ソング「さよならだけどさよならじゃない」はとてもかわいい名曲です。(作曲はKANさん!)

興味のある方はどうぞYouTubeなどで探してみてくだされ。

続きを行きましょう。

 

20位→11位

20位 夜明けのブレス チェッカーズ

19位 OH YEAH! PRINCESS PRINCESS

18位 夏の友達 CoCo

17位 愛が止まらない Wink

16位 情熱のバラ THE BLUE HEARTS

15位 真夏の果実 サザンオールスターズ

14位 にちようび JITTERIN’ JINN

13位 さよなら人類 たま

12位 ガラスの十代 光GENJI

11位 Little Birthday 光GENJI

 

ここにもランキングしている乙女塾出身のアイドルグループがいます。瀬能あづさ、三浦理恵子、宮前真樹、羽田恵理香、大野幹代の5人からなるアイドルグループCoCo。

 

女性のアイドル氷河期といわれたこの時代にも、ちゃんと歴史に名を刻んだアイドルはいたのです。

ちなみにこのCoCoの「夏の友達」のカップリング曲(昔は8㎝CDシングルなるものがあったのだよ、令和の若者諸君・・・)は私のかつて愛したH2Oが歌っていた「想い出がいっぱい」です。

 

サザンの真夏の果実は今も好きでよく聴きたくなる一曲ですが、リリースされたのが30年前というのが驚きだ。全く古さを感じさせない名曲。

 

そしていよいよベスト10の発表。

 

10位→1位

10位 WEEK END X

9位 女神たちの冒険 中山美穂

8位 Sexy Music Wink

7位 パラダイス銀河 光GENJI

6位 P.S. I LOVE YOU  PINK SAPPHIRE

5位 CO CO RO 光GENJI

4位 Dear Friend 中森明菜

3位 おどるポンポコリン B.B.クィーンズ

2位 夜にはぐれて Wink

1位 千流の雫 工藤静香

 

光GENJI強し。30位以内に4曲ランクイン。

当時ジャニーズは少年隊、男闘呼組、光GENJI、忍者が活躍していた。このころまだSMAPはデビューしてなかったけれど、グループはすでにあったので私は友達と一緒に推していたものです。

なんのアイドル雑誌かは忘れてしまいましたが、キムタクの記事を切り抜いては透明なファイルに挟み、こっそり授業中に眺めては楽しめる下敷きとして使っていたものでした。(その片面には少年隊!)

 

そして光GENJIの人気が陰りはじめたころ、かれらは一人ずつばらばらに、地方にある大きめの商業施設にプロモーション活動に行かされることになりました。

 

ジャニーズの!!大スターが!!この田舎にも!!来るっ!!!!

 

光GENJIファンの友達はものすごく沸き立っていました。

 

私たちの住む町の一番近くの商業施設にはヒロ君がやってきたのですが、沸き立っていた私の友達はバンジーのファンだったので、「なんだよ、ヒロ君かよ!」とぼやいていたことを思い出します。

彼女はぼやきまくりつつも、しっかりイベントには参加していたのでした。

参加した後もぼやいていました。そして30年経った今もまだその話になるとぼやくのでした。

 

そしてWinkも3曲ランクインしていますが、私は彼女たちのビジュアルが大好きでした。

笑わない、というか、そういう設定。

関西でいうと「メンバメイコボルスミ11」。いや、彼女たちはお笑い芸人だったけど、本人たちは笑わない設定でやっていたところにWinkと通ずるものを感じていたのです。

 

・・・ってだれが興味あるねん、メンバメイコボルスミ11!!

つーか、知っている人、いますかぁ・・・?

 

また同じように3曲ランクインしていたPRINCESS PRINCESSことプリプリは、当時の中高生のバンドガールズたちにとってあこがれの的でした。

アイドル的ルックスで実力を兼ね備えたプリプリ。(実力があったのはオーディションで選りすぐられた逸材のグループだったからです。)

そしてランクインはしていませんが、プリプリとは真逆といっていい、その存在がエロかっこいい大人な女性バンドがSHOW-YAでした。

当時ライバル的なこのふたつのバンドは仲が悪いと面白おかしく噂されることもあったのですが、実はとても仲良しだったというのは双方のファンにとってはうれしいエピソードでした。

1990年12月、明星によるカラオケ・ソングBEST30いかがでしたか。

あれこれまとまりなく綴ってしまいましたが。

最後にribbonファンに懐かしのもう1枚を。

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指先が写っちゃってごめんなさい!

ではではこの辺で。。。

岡村ちゃんワールドの扉を開いたあの日

こんにちは、namiheiです。

 

私が高校生の・・・いや、私がJKのころ、心ときめいた曲があります。

 

岡村靖幸さんの甘く切ない片想いの歌。

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namihei

岡村靖幸さんってどんなひと?天才岡村ちゃんを知ってほしい!

 

岡村靖幸さんとは

・岡村靖幸 1965年8月14日兵庫県神戸市生まれ
・1984年 当時19歳で作曲家デビュー。
・自身のシンガーとしての実力はもちろん作曲家としてアーティストへの楽曲提供多数。
☆渡辺美里「Long Night」「虹を見たかい」etc.
☆川本真琴「愛の才能」
・現在も精力的にライブを行い音楽活動を続けている。
・余談ですが、1987年に行われた広島ピースコンサートで、親友の尾崎豊とふたりで岡村ちゃんの楽曲「Young Oh! Oh!」を熱唱したことは筆者にとって今も忘れられない共演となった。

 

初めてGB(ギターブック)で岡村ちゃんを知ったのは私が中学生・・・いや、私が初々しくかわいい女子中学生のころだったのですが

 

「目力の強い人だなぁ。少ししん様※に似ているなー。」

 

と思うくらいで、まだその頃は岡村ちゃんの音楽を聴いたことはなかったのです。

 

※しん様とは、現在はズバッっと切れの良いMCで有名な、当時子役からロッカーへ幅を広げていた坂上忍さんのことです。

 

高校に入って私の前の席になったMという女の子がいました。

 

彼女も音楽が大好きで、好きなバンドの話で意気投合し一気に距離が縮まったのでした。

 

それからは毎日カセットテープにいろいろ録音しては二人で交換したりして、Mは私の知らない世界の音楽もたくさん聴かせてくれたのです。

 

ある日、Mが貸してくれたカセットのなかに岡村ちゃんの「いじわる」が入っていました。

 

うぶな女子高生の私に、それはそれは衝撃的な1曲だったのです。

 

今まで見たことのない(聴いたことない)世界の扉を開けてしまった。

 

妖艶で甘美な岡村ちゃんワールド。

 

何度セリフの部分を悶えながら聴いたことでしょう。

 

そうして私はセクシー岡村ちゃんの虜になっていったのでした。

 

それからはバイト代をつぎ込み、岡村ちゃんのアルバムをすべて手に入れるのは早かった・・・。

 

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岡村靖幸DATE

 

2枚目のアルバム「DATE」に収録されている『不良少女』をご存知でしょうか。

 

8時47分、授業が始まっている教室に”彼女”はいない。

 

座る人のいない机の中には置きっぱなしの教科書。

 

机の主は今頃、電車の中でドルチェモードのメイクをしているのだろうと想像する”彼”。

 

ドルチェモードのメイクとは、甘美で優しい柔らかな感じのメイクを言うのでしょうか。

 

”彼女”はピンク系のメイクをしているふんわり可愛い女子なのでしょう。

 

”彼”の友達には不良と呼ばれている”彼女”のことを、本当の”彼女”はそうじゃないんだ、僕は知ってるんだ、と”彼女”を守りたい”彼”の健気な気持ちがなんともいえず甘酸っぱい歌なのです。

 

「いじわる」とは真逆な、岡村ちゃんのロマンチックかつ純粋でかわいい高校生男子像を想像して聴いていただきたい。

 

あれから30年以上経ちますが、今も私は岡村ちゃんが大好きです。

DATEファンクラブ会員でもありました。

 

とにかくМよ、私を岡村ちゃんに出会わせてくれてありがとう。

 

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紫と黒のバラが気にいってます。

カールスモーキー石井は今でもてっぺいちゃんと呼ばれているのだろうか

こんにちは、namiheiです。

 

私が初めて米米CLUBを知ったのは、愛読していたGB(ギターブック)に載っていた小さなアー写でした。

そこには大人数のド派手な出で立ち。

中でもジェームス小野田さんのアーティスティックなメイクと扮装は際立っていました。

そしてメンバーのカラフルで奇抜な衣装。

私はその小さなアー写に一瞬で心奪われたのです。

 

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namihei

 

米米CLUBってものすごく大所帯のイメージだけど、
いったいメンバーは何人いるの?

米米CLUBメンバー

1982年結成。解散・再結成を経て現正式メンバーは9名。

・カールスモーキー石(1959年9月22日生まれ)
・ジェームス小野田(1959年11月8日生まれ)
・BON(1960年3月5日生まれ)
・フラッシュ金子(1964年3月22日生まれ)
  ※妻はダンサーチームのMINAKO
・ジョプリン得能(1959年8月10日生まれ)
・BE(1965年7月29日生まれ)

ダンサーチーム「SUE CREAM SUE」(シュークリームシュ)
・MINAKO(1961年12月18日生まれ)
  ※カールスモーキー石井さんの実妹
・MARI(生年月日非公表)

ライブ時にはサポートメンバーも加わる。

 

また一聴すると夢の世界に誘われるような米米CLUBの音楽。

今まで目にした事の無い世界観に、私は夢中になったのです。

 

私が惹き付けられた米米CLUBの衣装や演出をプロデュースしていたのはボーカルのカールスモーキー石井さんだったことにも衝撃でした。

 

いまでこそアーティストが絵を描いたり作品を作ったり、衣装をデザインしたりすることが珍しくない時代になりましたが、当時はカールスモーキー石井さんが先駆けだったのではないでしょうか。

 

そしてまた米米CLUBはもともと文化学院のサークル仲間で結成された集団だったのです。

どうりでセンスがあるわけですね。

 

その時代の米米CLUBのインタビュー記事では、カールスモーキー石井さんはメンバーに「てっぺいちゃん」と呼ばれていたのですが、何となく覚えているのが、石井さんの学生時代はめちゃくちゃ暗く、それは1970年代のアイドル、渋谷哲平さんに似ていたから、と読んだ記憶があります。

 

そんな実生活は暗く口数の少ないてっぺいちゃんが、カールスモーキー石井となるとき饒舌にMCをこなす最高のエンターテイナーとなったのです。

その頃の米米CLUBファンは、てっぺいちゃんと聞けば当たり前のようにカールスモーキー石井さんと認識していましたが、月日は流れ、今はどうなのでしょうか。

 

カールスモーキー石井さんは今でもメンバー内でてっぺいちゃんと呼ばれているのでしょうか。

 

そしてここでご紹介しておきたいのが、米米CLUBのアルバムの中で私が一番好きなアルバム・・・

 

1985年発売のファーストアルバム『シャリ・シャリズム』と、かなり悩んだのですが、1987年発売の3枚目のアルバム、『KOMEGUNY』です。

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KOMEGUNY





「sure dance」から「浪漫飛行」への流れがたまらなく好きです。

 

しかし改めて感心するのがアルバムタイトルのセンスの良さよ・・・

 

地平線

こんにちは、namiheiです。

 

"人という字の支えをとれば一人っきりが残るだけ"

この歌詞から始まる宇崎竜童さんの「地平線」です。

 

子供のころ、「人」という字を紙に書いてどの部分(支え)をとればいいのか考えました。でも1画取ったところで一人きりになるとはどういうことかわからなかったのです。

曲がったカタカナの「ノ」が残るのですが、これを数字に例えて「1」ということなのでしょうか?

などと難しく考えていたものです。

 

けれど金八先生が言っていた、「人という字は人と人が支えあって立っている」という言葉に当てはめて文字を擬人化して考えると、二人の人間が背中をくっつけあって立っていることになり、もたれかかっていた背中の支えがなくなれば一人きりになってしまう・・・ということなんだなぁ、と思ったものでした。真剣に。(遠い目)

 

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宇崎竜童/地平線

 

宇崎さんの渋い大人の歌声に、「愛は育むものだと知った」という歌詞が、当時6年生だった私は小学校の授業の一環でへちまを育てていて、「愛」を「育てる」とはどういう事なんだろう。へちまに水をあげながら思ったものでした。

 

広大な地平線になぞらえた「君」はすべてを包み込む。

大きな愛情を「君」に感じているのでしょう。

「君」がいて初めて輝くこの世界は、地平線から上がる太陽の光を表して、その光のさす方向は彼の道しるべになっているのでしょう。

 

わりと短めの歌詞なのだが、この一曲に、壮大な愛を感じてほしいのです。

 

この曲を聞くと、私の脳内にはアメリカのグランドキャニオンをバックにギターを持って立つ宇崎竜童さんが目に浮かぶ のです。

君のハートはマリンブルー

こんにちは、namiheiです。

 

杉山清貴&オメガトライブ「君のハートはマリンブルー」は1984年に発売された曲です。

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杉山清貴&オメガトライブ/君のハートはマリンブルー

 

 

当時の私は「オメガトライブ」という言葉が気になっていて、テレビでメンバーが”最後の仲間”というようなことを話していたのを見たことがあって「仲いいんだな~!」と思っていました。

 

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ところで実際に「オメガトライブ」とはどういう意味?

 

オメガトライブとは

「オメガトライブ」の「オメガ」(Ω, ω)はギリシャアルファベットの最後の文字ということで”最後”を、そして「トライブ」の”種族”を合わせ「最後の種族」という意味だそうです。

 

それはおいといて、

 

「君のハートはマリンブルー」、真夏の歌っぽいですが、夏の終わりの歌です。

 

失恋の歌っぽいですが、失恋した彼女が自分の元へ戻ってきたから受け入れる寛大な男の歌なのです。

君の安心できる場所は僕の腕のなかさ・・・みたいな。

 

こんな男性いないから!

いや、こんな優しい男性を都合よく使う女ってどうよ!?

 

と、今は思うのですが、当時の小6くらいの私は少女漫画のようなこの歌詞の世界観に酔っていたのです。

いや、この曲のボーカル、杉山清貴さんの透き通るようなさわやかな声に酔いしれていたのでした。

 

最後の歌詞"NO NO NO Don't say anymore"

 

♪のののどんせぇぇいえにもおぉぉぅーーーー

 

の部分。

 

杉山清貴さんの伸びやかな声が、たまらなくしびれるのでぜひ聞いていただきたい。

 

しかし、今年の夏は暑すぎる。

はやく夏、終わってくれないかな・・・