私はピアノ
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こんにちは、namiheiです。
子供のころ、ピアノを習っていました。
土曜日の午後、近所のピアノ教室へ。
そこは古めかしい日本家屋の大きなお屋敷で、玄関にはよく吠える凶暴な番犬もいたのです。
でも
番犬以上にピアノの先生が怖かったんですよ。
間違ったらぶたれるぶたれる。
手も頭も、間違えたら、バシッ!っと叩かれました。
時代ですねぇ。そういうことは当たり前だったのです。
上手になったら、ピアノを買ってあげる。
当時、私の家にはオルガンしかなく、そんな約束を親としていたのです。
そしていつしかピアノのレッスンは苦痛でしかなくなり
ピアノなんかいらん!!そうだ、上手くなる前にオルガンを壊そう!!
そしたら練習もできないから教室を辞められる!!
なんてことを真剣に思い、あほな小学生だった私はオルガンを壊すことを考えるようになったのです。
どうやって壊そう。
”そうだ、オルガンに乗ってやろう。”
私は来る日も来る日も親の目を盗んでは、オルガンの上に横たわるようにしたのです。
来る日も来る日も・・・
全然壊れへんやないかーーーーい!!
今から考えると、鍵盤の上に直接負荷をかけるでもなく、ちゃんとハードなカバーをおろしたオルガンの上に小学校低学年の女児が横たわるくらいで壊れる代物ではないですよね。
ましてやオルガンを武器的ななにかで破壊するなんて考えは微塵も頭になく。
その後、私はオルガンを壊すことはすっかりあきらめ、仮病を使うようになったのです。
おなかが痛いから今日はピアノのレッスンをを休みたい。
毎週毎週おなかが痛い。
だんだん親も察したのでしょう。
私の涙ぐましい努力が実り、ピアノを辞めることができたのです。
万歳!!
もうあの凶暴な犬と怖い先生に会わなくて済む!!
子供心に晴れ晴れとした気分でした。
あ、そんな私の昔話はどうでもいいのですが。
1980年(昭和55年)に発売された、高田みづえさんの『私はピアノ』が大好きでした。もちろん今も。
今はなにをしてるの?
・高田みづえ 1963年6月23日鹿児島県生まれ
・1977年3月16歳でアイドルらしからぬ歌唱力と表現力を以って「硝子坂」でデビュー。
・「潮騒のメロディー」「真夜中のギター」「秋冬」「そんなヒロシに騙されて」「夢伝説~ペルシャン・ブルー~」などヒット曲多数。
・1985年当時、人気力士の若嶋津(大関)と結婚、芸能界を引退した。
・現在は二所ノ関部屋のおかみとして切り盛りしている。
言わずもがなサザンの桑田佳祐さんの作詞・作曲。
『私はピアノ』の哀愁を帯びた調べと、憂いのある歌詞。
そのメロディーと高田みづえさんの歌声に、まだ本当の恋をしらない子供の私でさえ、胸がぎゅっと締め付けられるような想いを感じながら聴いていました。
その頃の私は、当時のアイドル雑誌、”明星”を毎月買っていたのですが、付録のYOUNG SONG(ヤングソング)を毎号一生懸命読んでいました。
もちろん『私はピアノ』の歌詞もしっかり読み、この歌詞の主人公は細身で髪が長く、けだるい感じの女性だと妄想したりなんかして。
(そうそう、ラリーカールトンやビリージョエルの存在を知ったのもこの曲からだったなぁ。)
私も大人になったら、恋をするのだろうか。
好きな人ができても切ない別れを経験するのだろうか。
子供心になんとなくそんなことを考えた記憶があります。
そして今もときおり聴きたくなる『私はピアノ』。
高田みづえさんの美しい澄んだ声が、哀愁漂うメロディーとともに心にしみます。
大人になって聴くとなおさら・・・。